松阪けいりんキャラクター

松阪けいりんのNEWキャラクター『松阪市の偉人』

「松阪けいりん」のPRキャラクターとして3人の偉人で結成した『松阪市の偉人』。
かつて全国に名を馳せた蒲生氏郷、松浦武四郎、本居宣長ら3人が松阪けいりんを盛り上げるために復活しました!
3人の活躍にご期待ください。

Profile

蒲生氏郷(がもううじさと) 1556-1595

織田信長、豊臣秀吉に仕え、松阪の礎を築いた戦国武将。
近江日野で生まれ、1584年、南伊勢12万3千石の松ヶ島城主となった蒲生氏郷は、そこから南に約4kmの位置にある四五百(よいほの)森に松坂城を築城しました。氏郷は、城下町の整備も築城と同時に進め、城の周囲の守りを固めました。また、楽市楽座を推進し、商人を誘致。江戸時代には三井家、長谷川家、小津家などが活躍し、松坂を「豪商の町」と呼ばれるまでに発展させました。
1590年会津へ転封し、92万石の大大名となります。
文化人でもあり、特に茶の湯は、千利休の「利休七哲」といわれる高弟の中でも筆頭にあげられるほどでした。

松浦武四郎(まつうらたけしろう) 1818-1888

幕末の偉人。北海道の名付け親。
冒険家、探検家、地誌学者、作家、出版者として活躍。
伊勢街道の側で育つ。16歳のときに江戸へ。以降、日本中を旅しました。28歳の時、当時まだ人々にあまり知られていない蝦夷地へ向かい、約13年間に計6回の調査を行いました。調査記録は出版され、蝦夷通と知られるようになります。明治になると政府から、蝦夷地開拓御用掛に、明治2年に開拓判官に任命され、蝦夷地に代わる名称を考えるように依頼されます。「北の大地に住む人の国」という意味の「北加伊道」が採用され、政府が加伊を海と改め、北海道に決定したとされます。

本居宣長(もとおりのりなが) 1730-1801

江戸時代中期の国学者。号は鈴屋。
18世紀最大の日本古典研究家で、伊勢松坂の木綿商の家に生まれるが、医者になる。医業の傍ら、「古事記」の研究に着手し、35年かけて「古事記伝」44巻を執筆。また、源氏物語の底流にある「もののあはれ」の精神を明らかにする等、国学の基礎を固めました。「玉勝間」等の随筆も有名。全国に約500名の門人がいました。

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